求人放置プレー

HISJS株式会社

HISJS株式会社

50歳を過ぎているからかどうかはわからないが、ハローワークで紹介を受けた求人で「求人放置プレー」といえそうな不快な思いをした。
私が応募したのはHISJS株式会社という、上海のターミナルのテナント募集をしている会社。8月中旬に応募、ほぼ2週間に1回の割で先方には電話を掛け、進行状況がどうなっているか確認。確認の度に「決裁者の社長が出張のため不在、選考は全く進行していない。」との返事。
応募して3ヶ月が過ぎ、さすがに堪忍袋の緒が切れた。今日とうとう「御社は不誠実な会社ですね、余計なお世話でしょうけど、こんなでテナントを管理することなんてできるんですか?」と捨て台詞を吐いてしまった。
吐いた唾は飲まなきゃならない。そのままハローワークに電話、いい加減な求人企業に対する罰則規定の有無を聞いてみる。予想どおり何も無し、企業側担当者への注意程度。まあ、今までの経過を説明しといたけど、何にもならないだろうな。
まともに選考されて落っこちるのは仕方ないにしても、こんな求人のために手書きで履歴書、職務経歴書、志望動機にカバーレターを書き、写真を貼り、レターパックで郵送するという手間をかけたのかと思うと、本当に腹立たしい。
このような放置プレーは今回が初めてではなく、実は何回か経験している。ハローワークで求人紹介を受けるという段階ですでに「負け組」状態なのだろうな。

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フィリピンの携帯電話向けSMS

フィリピンの友人へのSMS(彼らはTEXTと呼んでいる)の送受信には、Chikka(http://www.chikka.com/)が便利だ。

半角160文字までだが、日本からでもパソコンやスマートフォンからの送信は無料だし、こちらが相手の携帯に送信したSMSの返信はわずか0.5ペソ(1円ちょっと)で済む(らしい)。こちらがフィリピンの携帯電話番号を持っていなくとも、IDはすぐ取得できる。
また、相手がパソコンでも受信できるよう登録していると160文字の制限なく長い文章でも送れる。

パソコンからの送信の他、iPhone にはアップルストアからiPhone Appliを無償でダウンロードできる。iPhone 版は以前はよく相手からのSMSを取りこぼしていたが(要は受信できないSMSが良くある)、最近は3Gでもきっちりと受けるようだ。但し、先にパソコンで受けてしまうとiPhone の方には届かないことが多い。

FACEBOOKアプリでChikkaLiteというのもあるのだが、これはフィリピンの携帯の電話番号がなければ確認コードを受信できず使うことができない。

オンラインでない場合は指定のメールアドレスに転送するような設定はあるが、gmailやhotmailにはなぜだか届かない。どういうわけかyahoo.comのアドレスには到着することがある。なんだかフィリピンらしいアバウトな仕様だ。また、サーバーに余裕がないのか、なぜだか繋がらなくなることもよくある。

しかしながら、簡単にフィリピンにいる人たちとコミュニケーションを取るにはとても重宝している。
日本でも、携帯会社に関係なく、電話番号だけでSMSを送れるようなサービスがあればいいなと思う。

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グレート・ゲーム

暇な時間、WikiPediaを適当に検索して眺めて過ごすことが多い。WikiPedia の性格上、その記載内容が本当に正しいかどうかの判断はつかないのだが、個人的に興味深く感じられることも多数ある。
今日はそのなかで「グレート・ゲーム」について。
原義では、『グレート・ゲーム(英語 the Great Game)は、中央アジアの覇権を巡る大英帝国とロシア帝国の敵対関係と戦略的抗争を指す。中央アジアをめぐる情報戦をチェスになぞらえてつけられた名称』とのこと。

『実際の英露抗争は、ユーラシア大陸国際政治史の別方面、極東においてより激しく争われた。中央アジアにおける英露抗争に連関する極東国際政治史には、大英帝国・ロシア帝国(のちにソビエト連邦)に加えて日本・アメリカ合衆国・中国や多数の周辺諸国がプレーヤーとして参加しており、途中からは米ソ両超大国の争いへ継承され、現代においても多数のプレーヤーが参加するという経緯を辿った。
極東方面での諸国間の抗争はグレート・ゲームの盛衰と切り離せなかった。』

第II期に中心的なプレイヤーとなる日本についての記述は、特に興味深い。

第II期のグレート・ゲームは、1917年の2番目のロシア革命から第二次世界大戦の勃発による英露協調までであるが、ユーラシア大陸国際政治史から見ると、1917年のロシア革命からベトナム戦争の終結までの長い期間が背景として視野に捉えるべき期間である。

第二次世界大戦を挟んで英国がプレーヤーを降りて米国がその座を占めた。ロシアがソ連に変わり、中央アジアではそれほど激しい抗争が発生しない時期が続いたが、極東においては英国の地位簒奪を狙う米国の介入と、当初は英国が用意した駒に過ぎなかった日本が勝手に暴走し始めた事によって、激しい変動が続いた。

ゲームの駒からプレーヤーになった日本にとって、英国の衰退が決定的となる1930年代まで、ユーラシア大陸における英露対立は外交政策策定における大前提だったが、その思考を固定化してしまったために、ソ連の出現と米国の台頭により複雑になってゆく状況に適合できないまま、東南アジアの英領植民地奪取という“反則行為”によって、英国がゲームを続けられなくなるきっかけを作ってしまい、日本自らは英国に替わってゲームに参加した米国によって“出場停止”処分となってしまった。

また、この時期は帝国主義という商法が終焉を迎えた時期、および米ソ超大国の抗争の時期と重なり、中国・朝鮮・東南アジア・南アジアで激戦が続いた。

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私が英会話学校で職を得たわけ

英会話学校で働くようになった、と言ったら私を知る多くの人は驚くと思う。
特に私の学生時代を知る人は、私の英語嫌いを良く知っているのでなおさらだろう。
しかし私は、幸いなことにメーカー勤務の間に英語に慣れなければどうしようもない場に身を置くことがあり、不満足な状態のままではあるが英語に慣れることだけはできた。

第3の開国がマスコミで喧伝されるように、大手企業のみならず地方の町工場においても国際化の進展が急激に進み、日本国内においても英語のニーズは益々、しかも急激に大きくなっている。
この傾向は、たとえ日本国内においても、好むと好まざるとに関わらず英語を話せないと、就職面でのハンデなど、ある意味社会的に孤立してしまうというような日が近年中に来ることを予感させる。

一方、この渦中にあるほとんどの人の状況は、私のように幸運ではない。
大多数の人が英語は話せないよりは話せるほうがいいと考えているが、実際に英語を習得しようと行動を起こす人はそう多くない。
また、たとえ行動を起こしたとしても志半ばにして挫折する人も多い。

できるだけ早く、できるだけ多くの人に英語を習得しようとする決断のきっかけを提供し、実際に行動を起こした人たちが自分のペースで最後まで諦めないで習得する手伝いができれば、結果として世の中の多くの人の夢を実現する手伝いができるのではないか。

長らくのフリーランス生活を止め(きっと「辞め」よりこっちの漢字の方が正しいだろう)、英会話学校で職を得ようと思った理由はここにある。
今、自分自身では、この日本国民のためになると思えることを生業としていけるようになったことに誇らしい気持ちを抱いている。

私自身が英語を教える訳ではないので、私の英語力をご存じの方もご安心を(笑)。

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日経ビジネスオンラインの小田嶋隆氏のコラム

我が心はICにあらず

我が心はICにあらず

私は1988年に出版された『我が心はICにあらず』以来、小田嶋隆氏の隠れファンだったような気がする。タイトルは高橋和巳の「我が心は石にあらず」のパロディーだろうが、その内容は(記憶なので定かではないが)The Basic というコンピューター専門誌で連載されていたコラムをまとめたものだったと記憶している。純粋に自分自身の浅薄な印象で恐縮なのだが、私は氏の「なんとなくアウトロー」を感じる価値観に共感していたのだと思う。

今日、日経ビジネスオンラインで「私も原子力について本当の事を言うぞ」を読んだ。ここに記されている読売の社説批判の切り口は、たいへんストレートなものであり、もっと注目されてしかるべきだ。
原発推進を「マッチョ」に魅了された中二病としている、いかにも小田嶋氏らしい比喩については、私が感じていた小田嶋氏の「アウトロー」価値観は間違いないとの確信を得た。
ただ、ここで軽妙に描かれた以上の恐ろしさを読者は十分に認識せねばならないとも感じた。

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